第14回「通水節」伊是名島
通水と尚円王と伊是名島と ~しまうたから琉球史がみえる
「知っているが、誰でもができるわけではない」
難しい古典の歌である「通水節」は現在、記念行事や式典、組踊のなかで歌詞を変えて歌われているそうです。
通水には1983年に歌碑が建立されていますが、
「『通水節』は島の誇りであり歴史の道。お馬に乗った尚円王のモニュメントを作りたい」
と語るのは前出の前田政義さん。
モニュメントができれば、より「通水節」のイメージがつきやすくなるでしょう。実現する日が楽しみです。
子どもの頃にまだ通水の谷があったという東江一徳さんは
「通水は諸見から勢理客へ行く一本道で、荷馬車一台通るくらいの狭さでした。狭くて小さい山がふたつあって、暗くて怖かったですよ」
と語ります。
「小学生の頃、27年くらい前ですけど、勢理客の友達が通水の池から出てきた手に引っ張られそうになったと言っていました」と伊禮伸吾さん。
子どもたちにとっては通水は非常に不気味なところだったのでしょう。
「『通水節』は教訓歌と考えることもできる」と語るのは前川明宣さん。
「通水の道は山深いし細いし池があって、怖い道でした。池に落ちて亡くなった人もいたし、“通水の道は一人で渡ってはいけませんよ”と言われていました。
『通水節』は“一人で渡るな”という教訓歌で、下句で“一人じゃないよ。私と馬と鞍の三人だから大丈夫よ”と返したのではないでしょうか」
と胡弓(くーちょー)を手に語って下さいました。
当時は諸水と勢理客をつなぐ道は不気味な通水の一本だけ。勇気を振り絞って樹木の生い茂る薄暗い悪路の谷間を馬と鞍と主である金丸の三人で通り抜ける。馬のみならず、鞍までも人数に入れて三人と称しているところが通水の恐ろしさを物語っているのですね。

「伊是名には悲しい唄はほとんどないのですよ」
「子どもの頃から明るい歌しかない」
「王様が出た島だから首里の直轄地で、裕福であったから悲しい歌はないと聞いたことがある」
「王様に関する歌や、公事(役所)、役人の歌が多い」
「哀しい唄ねーらーさん(哀しい唄はないよ)」
島の人たちがこう話して下さいました。
沖縄本島北西部に位置する伊是名島は、位置的には国頭郡に入ります。しかし、北部であるにも関わらず島尻郡に属しているのは、「王様の生誕地であるから」という説があるほどで、尚円王以降、伊是名島は格別な計らいを受けて来ました。
他島より厚遇されていたゆえに辛く哀しい唄は皆無に等しく、ひとを受け入れもてなす伊是名の心「イヒャジューテー」が育まれてきたと仰る方もいらっしゃいます。
むかしの様子を知る島人誰もが怖い場所であったという通水。
恋唄であり、教訓歌であり、金丸の勇姿を詠った「通水節」から琉球史の大きな一頁が紐解かれて行くのでした。
通水の山や 一人越えて知らぬ
つぎにあなたが伊是名島を訪れるときは島風とともに、「通水節」を思い起こして頂ければ幸いです。
【取材協力】
東江清和さん、東江恵一郎さん、前川明宣さん、仲田寛和さん、佐久川兼友さん、
伊禮伸吾さん、前田政義さん、東江一徳さん、伊禮照美さん、なか民宿
伊是名島でお会いしたみなさま、ご協力まことにありがとうございました。
いっぺーにふぇーでーびたん。しかいとみーはいゆ~。
【主な参考文献】
『島うた紀行<第三集>』仲宗根幸市
『第1回伊是名郷友会芸能協会公演』プログラム
『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書』伊是名村教育委員会
『琉球・沖縄史』沖繩歴史教育研究会
『やさしい琉歌集』小濱光次郎
『沖繩北部十二市町村 民謡の旅』古木辰治
【取材・撮影・執筆】安積 美加(2012年5月9日)
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