伊是名島の伝統行事「ウンナー」(1)伊是名島へ
2026年8月。台風13号の影響で延期となり、8月11日(火)に執り行われた
伊是名島・伊是名区の伝統行事「ウンナー」。
島人の想いとともに、伊是名区「ウンナー」の島風を数回に分けて綴ります。
【取材】2026年8月11・12日/沖縄県島尻郡伊是名村伊是名区
伊平屋の七離れ‐「前」と「後」で呼び合うふたつの聖地
沖縄本島の北西の海に、琉球王国の壮大な歴史を秘めた島々があります。
ひとつは、第二尚氏王統の初代・尚円王が生まれた伊是名(いぜな)村の「伊是名島」。
もうひとつは、第一尚氏王統の祖先・屋蔵大主(やぐらうふぬし)が暮らしていたと伝わる伊平屋(いへや)村の「伊平屋島」です。
琉球最古の歌謡集『おもろさうし』において、二つの島は「いぢへな」(伊是名)と「ゑひや/ゑへや」(伊平屋)として対に歌われ、古くから深く結びついていました。
かつて、伊是名地方の五つの島(伊是名島・具志川島・屋那覇島・屋の下島・降神島)と、伊平屋地方の二つの島(伊平屋島・野甫島)を合せた計七つの島々は、総称して「伊平屋の七離れ」と呼ばれていました。
古琉球の時代は、これらすべてが「ゑひや/ゑへや」という一つの地域でした。
近世に入り、「ゑへや」と呼ばれた伊是名を含む地域全体が「伊平屋島(伊平屋間切)」と表記されるようになります。
その際、王府首里に近い南側の伊是名を「めーじ(前地)」、北側の伊平屋を「くしじ(後地)」と呼ぶようになりました。一つの行政区でありながら、美しい対比をなす存在だったのです。
双方の王統のルーツが奇跡的に揃うこの海域には、今も途切れることのない歴史のロマンが漂っています。
【参考】昭和56年12月25日発行『伊平屋村史』(伊平屋村史発刊委員会)P.34に「伊平屋ぬ七離り」の地図が掲載されています。ご興味のある方は併せてご覧ください。
」と「くしじ(後地)」-1024x683.jpg)
伊平屋と伊是名、それぞれの島に村が誕生するまで
時代の変革とともに、1908年(明治41年)「沖縄県及島嶼町村制」の施行に伴い、伊平屋と伊是名はひとつの「伊平屋村」として近代化の歩みを始めます。
しかし、村役場が伊是名島に置かれたことで、北の伊平屋島の人々は手続きのために険しい海を渡らねばならず、不便な時代が長く続きました。
島の自立を求める人々の情熱によって歴史が動いたのは、1939年(昭和14年)。
長年の願いであった分村が叶い、現在の「伊是名村」と「伊平屋村」が誕生しました。
それは、それぞれの島が自らの文化と誇りを守り伝えるための、新しい歴史の幕開けでした。
沖縄の北に位置する。なのに、なぜ島尻郡?
沖縄本島の北部に位置するにも関わらず、伊是名村も伊平屋村も「沖縄県島尻郡」となっています。
少し不思議ではありませんか?
伊是名村と伊平屋村が島尻郡であるおおまかな経緯は、第一尚氏・第二尚の発祥の地として、第二尚氏・尚円王即位後、首里王府の直領となったことが大きな要因と推察されます。その後も伊平屋・伊是名は王の直轄であり続けました。
1879年(明治12年)の廃藩置県後、1880年(明治13年)に伊是名島に「伊平屋島役所」が置かれました。
1881年(明治14年)、伊平屋島役所は本島南部の「那覇役所」に編入。
1896年(明治29年)、那覇役所の管轄区域をそのまま「島尻郡」として指定したため、地理的に離れた北部の島が南部の「島尻郡」へ編入されました。
伊是名村・伊平屋村が王家ゆかりの地であることが、現在においても息づいているのです。
筆者メモ ― 今後調査したい点
昭和56年発行の『伊平屋村史』(伊平屋村史発刊委員会)によると、「明治29年(1896年)4月、・・・伊平屋島は、那覇管轄から、島尻郡に編入された・・・昭和23年8月15日、島尻郡から国頭郡名護地区に編入されて、現在にいたっている。」と記述があります。
つまり、1948年(昭和23年)から1981年(昭和56年)の時点では、伊平屋は国頭郡だったようです。
1896年時点では島尻郡、1948年〜1981年までは国頭郡、そして現在は再び島尻郡へ。
再び島尻郡に戻ったタイミングはいつなのか? その理由は? ちょっと気になります。
伊是名島へ渡る ― はじめての運天港での注意点
伊是名島と伊平屋島へのアクセスは、本部半島・今帰仁村の運天港から就航しているフェリーです。
運天港は、平安時代の武将・源為朝が保元の乱に敗れて漂着した地であり、“運を天に任せて(あるいは運が天に通じて)辿り着いた港”という伝承が名前の由来のようです。

運天港での注意点2点
・クルマを置いて島に渡る際は、港近くの有料駐車場に駐車する必要があります。
・フェリーの乗船券の支払いは現金のみです。
運天港からは、伊平屋(いへや)島へのフェリーも往来しています。
待合所にいる人たちが “のんびりしているから” と一緒になってのんびりしていると、フェリーに乗り遅れちゃいます。のんびりしている方たちは伊平屋行きの方たちなのです。
伊平屋行きは午前11時発。伊是名行きは午前10時30分発なのです。これも注意点のひとつかも。

伊是名島へは運天港から約55分の船旅。
古宇利島、伊江島、伊平屋の七離れに名を連ねる島々を眺めながら、フェリーは伊是名島へ。

伊是名島の「ウンナー」(2)へ続きます。
【主な参考文献】
『伊平屋村史』伊平屋村史発刊委員会(昭和56年12月25日発行)
『伊是名村史・上巻・島のあゆみ』伊是名村(平成元年6月1日発刊)
【文・写真】安積 美加
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