第14回「通水節」伊是名島
第二尚氏王統の始祖・尚円王の生まれ島 ~ 伊是名島
沖繩本島那覇空港から北を目指し、本部半島今帰仁村の運天港までクルマで約2時間のドライブ。ヤンバル(山原)まで足を伸ばすと山の緑がいっそう濃く深くなります。
伊是名島と伊平屋島への玄関口となる運天港には、為朝伝説がひっそりと息づいています。
保元の乱(1156年)で破れ伊豆大島に流刑となった源為朝。機をみてひそかに島を脱出するも、嵐に遭い漂流してしまいます。伊豆大島から“運を天に任せて”流れ着いた地が今帰仁村の運天港でありました。
1650年、王命により羽地朝秀が編纂した琉球最初の正史『中山世鑑』には、琉球最初の王とされる舜天王は為朝の子であると記されています。琉球での日琉同祖論のはしりです。しかし、舜天王が実在したかどうか、伝説・神話の域を脱しているとは言い切れず、薩摩の琉球支配を合理化するために利用された、とも言われています。
伊是名島へ向かう運天港からして、琉球の伝説と歴史が絡み合い面白くなってきます。

運天港からフェリーで1時間。船旅を楽しむ間もなく、尚円王の生まれ島である伊是名島・仲田港へ到着。
伊是名村は、人口1560人(平成24年3月31日現在)の伊是名島と、具志川島、屋那覇島、降神島の3つの無人島、あわせて4島から成り立ち、総面積は15.42k㎡、。
お腕をひっくり返したような形の伊是名島は、島の東に位置する諸見(しょみ)、仲田、西に勢理客(じっちゃく)、南に伊是名、北に内花と5つの集落から形成されています。
「米どころ」、「松どころ」と呼ばれた島は、フクギ並木や珊瑚の石垣と風光明媚な佇まいが残り、第二尚氏王統の始祖・尚円王(金丸)の生誕地として知られるだけあって、素朴ながらもどことなく高貴な感じがします。

1415年、金丸は諸見集落で農民の子として産声を上げました。
成長とともに突出した才能をみせはじめた金丸は、好男子で女性たちからの人気も高かったため、次第に疎まれるようになります。
あるとき、周囲の水田がすべて干上がっているにもかかわらず、金丸の水田だけは悠々と水が溢れていることから、金丸は水泥棒の嫌疑をかけられます(逆田伝説)。
生命の危険を察知した金丸は24歳で生まれ島をあとに沖縄本島へ逃げ渡ります。
その後、越来王子(尚泰久)に仕えるようになった金丸はメキメキと頭角をあらわしました。
第一尚氏王統7代目尚徳王が死去した翌1470年、ついに国王に即位した金丸は第二尚氏王統の始祖・尚円と称しました。

青い海に囲まれた静かな佇まいの島は、尚円王のへその緒が埋められている「みほそ所」、金丸が島を出る発端となった「逆田」、尚円王の親族を葬り祀る「伊是名玉御殿」など、琉球王朝の歴史を肌で感じることができます。


コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。






この記事へのコメントはありません。