第17回「とぅばらーま」石垣島
ひとの想いを昇華させる唄のチカラ
親ぬ一声 肝に染まり
忘きぃどぅしらるん 思いどぅ勝る
(親の残した声は心に染まり 時が経つほど思いはつのるものだ)
こちらの歌詞は、金城弘美さんが平成12年「とぅばらーま大会」で見事チャンピオンの座を射止めた際に唄われた歌詞です。
親を想うこの歌詞に、とても思い入れを持たれている弘美さんにお話を伺いました。
「私が子どもの頃から、父はいつも『うぬぼれたらダメだよ』と言っていました。そんな父が平成13年、テレビで私が歌っているのを見て、初めて褒めてくれました。嬉しいけれど、ちょっと淋しかったですね。
父の『うぬぼれるな』という昔からの戒めは、私に必要なものだったんだなとチャンピオンとなった後々に思いました。
母は具合が悪くても、『うちで寝ているより弘美の唄っている姿を見ている方が元気になる』と言っては、私が唄っているところへいつも見に来てくれていました」
親への想いを唄った歌詞で優勝した平成12年、ご両親はお元気でした。
しかし、弘美さんは平成15年にお父さまを、平成19年にお母さまをグソーへ送られました。
ご両親を亡くしてからしばらく唄えなくなってしまった弘美さん。
平成19年の観月夜台村のステージも断ろうと考えていたそうです。
しかし仲間から、
「とても辛いことだけど、弘美はこれからも唄っていくのだから。がんばってこれを乗り越えて行かなきゃだめだよ」
と励まされ、家族や兄弟からは
「お父さんもお母さんも弘美が唄っている姿が好きだったんだから、弘美が唄えば天国の両親も喜ぶよ」
と言われ、悩みに悩んだ末、唄う決心をしたそう。
しかし、当時はまだ両親を想うこの歌詞は唄えなかったと弘美さん。
「この歌詞は、実は昨年からやっと唄えるようになりました。
気持ちがひとつステップアップした、少し乗り越えた感じです。
悲しい歌詞を悲しく唄うと、聴く人まで悲しくなる。だから、悲しい気持ちでは唄えない。
いまは、どんな唄であっても、幸せな気持ちで唄わないと人に伝わらないと思っています。
だから、私は、どんなときも、どんな唄も、幸せな気持ちで唄うよう心掛けています。
唄にはひとの想いを昇華させる力があるのだと思う」
という弘美さんは、子どもの頃からずうっと見守り続けて来てくれたご両親の死を乗り越え、次のステージへと確実にひとつのぼっているのでした。
「昔のひとは、厳しく苦しい生活のなかに唄があり、唄を糧に、さまざまな想いを吐き出して乗り越えていったのではないでしょうか。
私は“唄のために”生きているのではなく、生活のなかにふつうに唄がある感じ。
生活のなかにふつうに唄があるのが八重山だと思います」
昔ながらの八重山の暮らしを自然体で生きている弘美さん。
あたたかで穏やかな弘美さんのお人柄は、唄にも話しぶりにもにじみ出ている。
これが本来の、本当の八重山の暮らしなのか。
憧憬とともに素直な気持ちで素晴らしいと思った。

石垣の、八重山の人々が愛してやまない名歌「とぅばらーま」。
自分を見守り続けてくれた両親を想う歌詞ひとつが、自然体で唄を愛する八重山のひとりの女性をより高みに引き上げた。
唄にはそんな底力があることを感じ入るのでした。
親ぬ一声 肝に染まり
つぎにあなたが石垣島を訪れるときは島風とともに、「とぅばらーま」を思い起こして頂ければ幸いです。
【取材協力】
大田静男さん、与那嶺定さん、金城弘美さん、大泊智明さん、石垣市民会館、
石垣島でお会いしたみなさま、ご協力まことにありがとうございました。
しかいとみーはいゆ~。
【主な参考文献】
『とぅばらーま歌集』石垣市文化協会
『とぅばらーま大会年表』石垣市教育委員会(文化課)
『八重山民謡誌』喜舎場永珣
『島うた紀行<第ニ集>』仲宗根幸市
『八重山歌謡集』仲宗根長一
『「しまうた」流れ』仲宗根幸市
『ウチナーのうた』音楽之友社
『琉球芸能事典』那覇出版社
『琉球・沖縄史』沖繩歴史教育研究会
『沖縄島唄紀行』藤田正・大城弘明
『唄に聴く沖縄』松村洋
【取材・撮影・執筆】安積 美加(2012年8月20日)
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