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第12回「むんじゅる節」粟国島

「農作業で使う本来の平笠はもっと平べったいですよ。これは踊り用です」と踊り用のむんじゅる平笠を手に、踊りを披露して下さったのは玉寄スミ子さん。
「『むんじゅる節』を最初に踊ったのは巣飼下原(しがんさばる ※粟国島の地名)の人で、顔を見えないようにして踊っていました。むんじゅる平笠は、いまでは瀬底島でしか作っていないそうですよ。これは2万円しましたよ」と茶目っ気のある愛らしい笑みがこぼれます。

玉寄スミ子さん

「むんじゅる節」は、「節は同じで、曲名や(二番に登場する)地名だけが変わっていった」と語るスミ子さん。
スミ子さんのお話では、「さがや節」が「糸喜納(いちゅきな)節」となり、舞踊化されたときに「照喜名節」となったのが現在の「むんじゅる節」なのだそう。

扇を広げたような形の粟国島は西、東、浜と3つの集落が存在します。島の西側が西原(西集落)、島の中央が東原(東集落)、島の東側が浜原(浜集落)です。集落はさらに小さな小字に分かれています。

「さがや節」は西集落の「坂谷(さがや)原」から出自した唄で、坂谷からほど近いところにある同じ西集落内の糸喜納原へ「さがや節」が渡り、曲名が「糸喜納節」になったそうです。
「糸喜納節」の二番の坂(地名)は“糸喜納坂”となります。そして忠告されているのは神里家の娘さんです。

その後、明治28年(1895年)頃、玉城盛重氏によって舞踊化された際に、どういう訳か「糸喜納節」が、浜集落の照喜名を舞台とした「照喜名節」=「むんじゅる節」となったそうです。

「むんじゅる節」の二番にある“照喜名坂”は浜部落の照喜名原にある坂のことであり、忠告されているのは山城家の娘さんです。
山城家の娘さんは、津波古某と恋に落ち、ふたりの間に男の子が生まれました。しかし、津波古某が久米島へ転勤となったので、山城家は分家させて津波古姓を名乗らせるようにしたそうです。

糸喜納には現在も唄に登場する坂が残っていましたが、現在の照喜名には坂らしきものは見当たりませんでした。
しかし、「糸喜納節」の神里家と、「照喜名節」の山城家は両家とも由緒正しきおうちで、いま現在もご健在です。
ゆかりの地を案内して頂いていると、唄を通じて当時の粟国島の暮らしが眼に浮かぶようでした。

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