ユークイ
船元の御座を目指し、スリズから出発した道行列は、一番旗(ガヒャ)に男子芸人、二番旗(シバカキ)にミリク様を先頭としたミリク行列、三番旗(ナギナタ)には黒装束のフダチミを先頭とした婦人アンガー行列が続きます。
ミリク様ご一行の最後尾には三線の地謡と笛がつき「弥勒節」を歌いながら歩いています。

三番旗の先頭を歩くのは、女性ふたりが扮するアタマのてっぺんからつま先まで黒装束の「フダチミ」。おめでたい正月行事にあって、全身黒尽くめとは少々不思議な出で立ちです。
フダチミは、慶来慶田城用緒の娘という説、本土からの船が遭難した際に船から降りてきた女性行列の再現という説、誘拐されて戻って来た女性が顔を見せられるような状態ではなかったから隠しているという説、嫁ぐ女性を守るためだという説。
諸説あって、フダチミが何であるかとは断定できないそう。ミリク神より古い歴史を持つであろうフダチミですが、見た目通り神秘的であり、謎めいた存在。ゆえに心惹かれる人も多いのでしょう。

一行が船元の御座に到着すると一番旗を先頭に男子の船子の櫂踊り「ヤフヌティ」にて先導・船子が入場、二番旗を先頭に「弥勒節」にてミリク行列が着座、三番旗を先頭に「ユナハ節」にて女性のアンガー行列が入場し着座。
静かな海と青空とマルマボンサンがその様子を見守ります。

砂浜では、櫂をマタに挟んで島言葉で口上を述べるルッボー、リッポーと呼ばれる男子狂言、棒芸が繰り広げられます。元気いっぱいのちびっ子たちも日頃の練習成果を発揮。微笑ましい奉納芸です。

フダチミを先頭とした「シチアンガー」とも言われる婦人アンガーの巻き踊りは、砂浜に立てられた旗頭の間に二重の円陣をつくり、内円ではフダチミと太鼓を叩きながら唄う音頭取りふたりが時計回りに、外円では他のアンガーたちが反時計周りに踊ります。
束の間、まぶたを閉じ、唄と太鼓を聴いてみる。
美しい唄声と太鼓だけのゆったりとした素朴な唄と踊りは、“500年以上前から同じ唄と踊りが奉納されていた”という情景をやすやすと描かせてくれるほど素晴らしい。

桟敷では祖納の祝舞「マルマ盆山節」などが奉納。「マルマ盆山節」の際は、さすが地元の唄とあって、おばぁちゃまたちも口ずさんでいます。(※「マルマ盆山節」については島唄連載『恋ししまうたの風』をご参照ください。)

船元の御座の桟敷にじっと鎮座するミリク様ですが、時折、椅子から立ち上がり、皆が唄う「弥勒節」に合わせて団扇を大きく仰ぎながらゆったりと舞い踊りました。
ミリク様の座舞いに観客の方々はとても喜んでいます。来場の女性たちは手拍子を叩きながら、ときにはユガフ(世果報)を招き入れるように手を宙に上げ、柔らかく手招きをしながら「弥勒節」を唄っています。
ミリク様と会場の女性たちの唄声と手の動き、嬉しそうな、とても幸せそうな笑顔。本当に世果報を運んできれくれるようで、その場に居合わせられた私も、海の彼方から運ばれた果報に包まれ、穏やかで幸せな気持ちになったのでした。

この日のメインは、フニクイヌ(舟漕ぎの)儀式。
船子が乗り込んだ2艘の舟で、2回のフニクイが行われます。
1回目は「世乞い行事」。海上における「世乞い」で、はるか彼方の海神様からウシマユー(大島世)、ミリクユー(弥勒世)を乞い、祈願歌を歌いながら沖へと静かに漕ぎ出し、「豊穣・豊漁」を持ち帰るもの。会場の島人たちは、ウシマユー、ミリクユーになりますようにと静かに見守っています。

2回目は厳粛な雰囲気から一転、全力で漕ぐ「舟漕ぎ競漕」。船子たちがマルマボンサンを一巡します。
ほかの男子芸人、女性たちも浜に降り、頭上に手を上げ、「サァサァサァサァ」と掛け声とともに応援。ガーリ(乱舞)で舟とウシマユー、ミリクユーを迎えます。船元の御座がもっとも熱気を帯びたひとときでした。
クライマックスのフニクイの後、浜にて男子アンガー巻き踊り、獅子舞による厄祓いと続き、ユークイは太陽の傾きとともに終盤を迎えていきました。

万歳三唱の後、「弥勒節」にて一番旗を先頭に集落内を練り歩きながら全員がスリズへ戻ります。
通り雨はあったものの、暑いほどのお天気に恵まれました。世乞い行事を無事に終えられた一行には安堵感が漂っています。衣装を身につけた島人の顔には、やり遂げた、という満足感と安堵の笑みがこぼれていました。

島風の記憶と希望 