西表島・祖納「節祭」(2013年)

祖納節祭歴代ミリクと祖納島人の想いと

西表全剛さん(2013年ミリク役)

「前日は眠れず、深夜2時20分頃、気持ちを沈めるために誰もいない公民館へ行きました。早朝はミリクの歩く道をひとりで2~3回あるきました。

ミリク面をかぶるまでは心臓がバクバク、ドキドキでした。前日にミルク面の顔合わせをしたときもドキドキしていましたね。
でも、面をかぶって周囲を見回すと落ち着きました。意外とかぶったあとは落ち着くんです。

帯の長さ、衣装、お面もピッタリでした。下は見えませんが、それ以外はよく見えて、ふだんより一人ひとりの顔がしっかりよく見えました。美加さんの顔もよく見えましたよ。手を振ったのわかりました?(笑)
暑さは大丈夫でした。喉の乾きも、トイレも大丈夫。汗はすごかったけど意外と平気でした。

ミリク面をかぶっている間、親父も兄貴もかぶっている、いろんな人がかぶって来たなとかいろいろと考えていました。先人から500年受け継いできた歴史を感じつつ、みんなの健康と部落の発展を祈っていました。
面をとった瞬間はやり遂げた安堵感でいっぱいでした。
離れているけど、もっと部落のためにやろう、やっていかないと、と思いました」

「神様であるミリク様をやってみて人生観は変わりそうですか?」との質問には少し間をおいて、
「いまはやり遂げた、という気持ちでいっぱいです。もう少し時間が経って落ち着いて、いろいろと噛みしめると、もしかしたら変わることもあるかもしれませんね」と全剛さん。
数年後、もう一度全剛さんにミリク様をやり遂げた感想を伺ってみたいものです。

上亀直之さん(歴代ミリク)・奥さま智恵さん(裏方)

「決まったときは、大役に選ばれているから名誉なことですが、緊張の方が強かったですね。
朝9時から夕方5時、6時まで原則水もダメだし、大も小も行けないのですから。

ミリク役はビデオで勉強しました。袖もち(ミリクの袖を持ってお供をする女の子)はいますが、階段の数を覚えて、夜の浜に行って目をつぶって階段を降りたり、2~3日前からビールを断ち、完全に水分を断つよう調整したり準備をしました。

面をつけてみると両目からは見えず、一点しか見えませんでした。
お天気が良くて、ずっとマルマボンサンを見ていました。ふだん見ている景色なのですが改めて、ここは良いところなんだな、と再確認できました。

言葉ではうまく言えませんが、みんなが自分を見ているのはわかりましたね。
すべてミリク様のため、つまり自分のためにやってくれている。すべては見えませんが、神司さんは僕が入っているとわかっているのに、神とみて、僕を見て泣いている。地元のおじぃ、おばぁも団扇を扇ぐと手を合わせて泣いていました。

当時の私はヘビースモーカーだったのですが、タバコも吸いたくならなかったですね。水が欲しいとか、トイレに行きたいとも思わない。もしかしたら、ある種、何かが乗り移っていたのかもしれません。

スリズで面を取ったあと、オリオンビールの小さなコップで冷たい水をもらったのですが、人生で一番おいしい水だった。終わった後の水もタバコもビールも、あれほどおいしいものはなかったですね。そうそう、ビールないですか? と言って笑われましたよ」
当時の写真を眺めながら、このときの袖持ちはふたりとも娘だったんですよ、と嬉しそうな父親の表情を見せる直之さんでした。

「あのときは私もトイレを我慢しました。側に近寄れないので、飴を用意したり、いろいろと工夫するよう考えました」
とミリク役のご主人をサポートされた奥さまの智恵さん。
「私は熊本から嫁に来たのですが、節祭にかかわるようになって、ひとつひとつが勉強になり、節祭が近づくと、裏方なりのビシっとした気持ちになります」智恵さんは裏方で奮闘しながら節祭を支えていらっしゃいます。

「役員が着る紅型タナシ(衣装)は一枚50万円ほどするのですが、以前お手伝いしてくれた子どもから、“触らせてもらってありがたいです”という感謝と敬いの言葉を聞いた時は考えさせられましたね。子どもたちも節祭の歴史を知り、大切なものだとよく理解しているんだなぁと。以前から丁寧にアイロンをかけていましたが、さらに心を込めてアイロンをかけるようになりました。

4~5年前は先輩たちの言っている意味がわからなかったり、理不尽なことを言っているように感じていたのが、ひとつずつ意味があるのだと毎年毎年わかるようになりました。
それぞれの立場で、それぞれの想いがあるのだということもわかるようになりました。
ただ、昨年初めて芸人として出たんですが、私は芸人より裏方がいいですね(笑)」
今度ぜひ裏方の話も聞いてみて下さい。面白いですよ、と智恵さん。ぜひまた取材に伺わなければ。

「人生観は変わりませんが、ミリクになってから一年は“ふ”があったように思います。
“ふがある”というのは石垣や西表で言うのですが“運がある。ご利益がある”という意味です」
その年は不幸のなかでもこの程度で済んだと思える出来事がありました、と当時を振り返る上亀さんご夫妻。仲睦まじく節祭を支えていらっしゃるご夫妻でした。

平良八重子さん・砂川素子さん(婦人アンガー)

「ミリク面のバランスがきれい。表情がきれいで、やさしい面だと思います。きっと面をつくった人も心のやさしい素敵な人だと思います」
祖納のミリクについて口を揃える平良八重子さんと砂川素子さん。

砂川素子さんは8名兄弟の4番目にあたり、今回8番目の弟の全剛さんがミリク役。お父様や次男にあたる弟さんも歴代ミリクを務められたそうで、ご家族のなかでは全剛さんが三度目のミリク役となりました。
「実は弟は閉所恐怖症なので、少し心配していたのですが、無事に大役を果たせてよかったです。最初はぎこちなかったけれど、綺麗に踊っていましたね。
神様の行事を素直にやっているようにみえました。まるで神様が乗り移った感じがしました」
私は初めて目にするミリク様でしたが、ご姉弟の間柄でも“神様が乗り移った”と感じるほど、全剛さんが立派に大役を果たされたことがうかがえました。

今年初めて節祭に参加された平良八重子さん。祖納ご出身で現在石垣島在住の八重子さんは、「私は泣かない人間で、周囲にも泣くなと言ってきかせていますが、今回はいい涙を流しました」と感激でこぼれ落ちる涙を拭われます。
「今までは平気で『弥勒節』を唄っていましたが、今回はミリクを見る度に泣き、想いがミリクと合体したようです。
“八重子、よく来たな”とミリクが私に話しかけているようで、ミリクを通して、私と地域とミリクは一体になっていました。
“無理せず地域のためにがんばりなさい。地元にもっと尽くしなさい”と言われているようでした」
来年もぜひ参加したいです、涙ながらに八重子さんは感激の想いと堅い決意を語ってくださいました。

大浜美咲ちゃん(ミリクの供)

小学校1年生から毎年節祭に参加している大浜美咲ちゃん。
「学校に特別にお休みをもらって節祭に参加しました」という美咲ちゃんは祖納出身で、現在石垣島で高校生活を送っています。

「祖納の節祭は500~600年の歴史があるから、なるべく変えずに、むかしのままで続けていきたいです。
最近は効率を考えて学校でも色んな物が変えられていっています。
むかしのものを勝手に変えられるのはイヤだし、小さい頃からみてきているから、“これが節祭”というイメージを崩したくありません」
沖縄本島の大学へ進学が決まっている美咲ちゃんは、「いずれ戻って来ます」と必ず祖納へ戻って来て節祭を守り継ぎたい、と強い意思を語ってくれました。
かたや、「いちど男になって棒打をやってみたい。女子はひざまずき(正座)が基本です。船元の御座でひざまずきでジーっとしているのがキツイんですよ」と愛らしく笑います。

美咲ちゃんにとっての節祭は? と尋ねると、
「節祭は祖納のなかで一番大きなお祭り。“これが祖納”みたいなの。
祖納の節祭が一番です!」
祖納節祭の歴史の重みを感じ、誇りに思う若者がいる。頼もしい限りです。

那根操さん(歴代ミリク)

「かぶる前は不安で心配でしたが、かぶっている間は水が欲しいとか、トイレに行きたいとか、暑いとか、そういうものはぜんぜんありませんでした。

面をつけると両方の目では見えず、片目で見ていました。
少しずつ首を動かし、ひとつの穴から見るのですが、マルマボンサンもフナクイもよく見える。アナログからハイビジョンに変わるくらい、ふだんよりはっきりと綺麗によく見えました。その景色、見え方は本当に見事で、かぶった人にしかわからないでしょう。

人が話しているのもよく聞こえました。後ろのひとの会話もよく聞こえる。その方向を見ると手を振ってくれたり、みなさん必ず笑顔になる。
ふだんは芸人(地謡)をしているので、ミリクでないと一人ひとりをじっくり見れませんから。このときはみんなの笑顔が見れましたね。
かぶっているときはみなさんの健康と部落発展、豊作のことばかり考えていました。

6時間と聞いていましたが、時間はあっと言う間に過ぎて、長いという気はしませんでしたね。
公民館が近づくと“終わりだなぁ。どんなお礼を言おうか”と考えていました。面を取るときもドキドキしていましたね。
面を外した瞬間、自然の風がふぁーっと来て、新鮮な気持ちになりました。
お礼のご挨拶のときは、感動して思っていることの半分も言えなかったです。
やった人にしかわからない、満足感、安心感、感動があります」

操さんは、ミリクをやって人生観が変わった、とおっしゃいます。
「周囲からの注目度が上がったように感じ、以前よりまして礼儀正しくするようになりました」。

最後に、操さんにとっての節祭とは?
「身体に染まっている島の本当の文化。
ミリク神を中心に人と人を結びつける、人を結び動かし、まとめる、すごいものだと思います」
操さんのやさしい笑顔には節祭への誇りと、集落の人もすべて含めた集落そのものへの愛情であふれていました。

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