久米島の君南風『六月ウマチー』【後編】

沖縄[久米島]の伝統祭祀・伝統行事の記憶(記録)
2025年7月19日(令和7年 旧暦6月25日)取材 @ 沖縄県島尻郡久米島町

久米島の君南風「六月ウマチー」[前編]

六月ウマチー 夕神[午後の殿廻り]「グシクヌブイ」

これまでは午後2時から斎行されていたと聞く神事(夕神)は、暑さを考慮して今年は急遽、夕方5時からに変更されたようです。
沖縄の夏の17時はまだまだ日が高い。とは言え、暑熱厳しい時間帯から17時への変更は拝見する側としてもありがたい変更です。

具志川城跡(国指定史跡)

指定名称:具志川城跡(ぐしかわじょうあと)
所在地:沖縄県久米島町字仲村渠クメシ原432, 477-1
指定年月日: 昭和50年12月10日
所有者:久米島町
【出典】久米島町役場資料(PDF)「具志川城跡」

17時頃。久米島の青空に白い雲が浮かんでいます。
祭地の具志川城跡に到着すると、君南風ご一行がこれから登城をはじめるところでした。

70年前は神女たちが馬に乗って訪れた具志川城跡。現在は四輪自動車で集合です。

城跡への参詣は「グシクヌブイ(城登り)」や「グシクグミ」と呼ばれています。

現在の状況はわかりませんが、かつてのグシクヌブイは、沖縄県内グスクで最高所に位置する宇江城城跡(うえぐすくじょうあと)と具志川城跡を隔年で交互に行っていたようです。

先頭を行くのはミチャブイを被り鮮やかな黄色の神衣装を纏った君南風です。

海に面した石灰岩の丘陵に建つ具志川城は、東側の正門以外は30mあまりの断崖という堅牢な城でした。
手摺のついた階段を一歩一歩、君南風のあとに続いて皆がゆっくりと登ります。

階段を登りきると右手に歩みを進めます。こちらは三の曲輪(郭)。
君南風ご一行のあとに続いて一同ホロホロと広い城内を歩きます。

二の曲輪との境界近くに仮屋が建てられお供え物が準備されていました。

午前中に廻った仲地蔵下、玉那覇蔵下と同じような仮屋が用意されていました。
植物「マーニ(クロツグヤシ)」の葉で葺いた屋根だけの簡素な仮屋です。
古式ゆかしい仮屋は、久米島で「ローカーヤー」と呼ばれているようです。

ローカーヤーを通り過ぎ、君南風は二の曲輪の虎口へ向かわれました。

遠目から拝見していると、二の曲輪の虎口はちょっとした石垣となっています。

かつては城壁であった名残の石積が崩れたのか、足場は決してよろしくはなく、手摺もありません。
御歳80代後半と聞く君南風にとっては少し難所と見えますが、付き添い女性の手を借りつつ、ご自身の足で越えられました。

その後、君南風はおひとりで二の曲輪の中心へ向かわれました。
石垣に遮られ奥の様子は何も見えませんが、君南風おひとりになっての拝みは本日初めてのことでした。

広い城跡を吹き抜ける風音を聞きながらお待ちしていると、やがて君南風のお姿が見えました。

君南風は再び女性たちの手を借りて虎口を越えられて、二の曲輪からお戻りなりました。
しっかりとした足取りの君南風のお姿が見えて、ほっとしている自分がいました。

続いてローカーヤーで祈りが捧げられました。

これまで同様、ヒラウコー・酒・米を供えるのは私服の女性です。

その後、君南風は海側の四の曲輪へ。

遠くから拝見していましたところ、こちらでも私服の女性がお供えをされているようです。 

海に向かって手を合わせておられます。

私の近くから「あそこから中国へ祈っているみたいですよ」と、やわらかな女性の声が聞こえました。

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