第28回「くいぬぱな節」新城島(パナリ)

パナリの歴史と島の夜と

強い日差しの日中、思ったよりも日帰り観光の方が多かったパナリ。とは言っても、目に入った華やかな身なりの姿は、30人にも満たない。
西の空がオレンジ色に染まる頃、日帰りの方は次々と島を離れ、パナリには島本来の静けさがおとずれ始めました。

クルマやバイクの騒音はもちろんのこと、お店の類が一切ない島は、派手なBGMも賑やかな喧騒もありません。
聞こえてくるのは鳥の声と樹々のざわめき。自然界の音だけ。

薄紫色の空、ひっそりと静まり返った集落には、ぼんやりと浮かび上がる外灯が真っ白だった砂の小路を灰色へと変え、美しい緑が漆黒の杜へと変わっていく。
こんなに静かで穏やかななところは、そうそう、ない。今宵、島には数えられるくらいの人しかいないだろうから。

修さんのおうちの庭でBBQが始まりました。芝生のお庭でBBQとはなんとも贅沢です。
南の夜空には星々も輝きはじめました。

「パナリは500~600年の歴史はあると思います。
オヤケアカハチ時代から人は住んでいたでしょう。
昭和13年頃、戦争が始まり、“空襲が来るので疎開しなさい”と言われ、パナリから大半が西表島へ集団疎開したんです。西表島の大原を開拓したのはパナリの人なんです。
ところが、実際には空襲はなく、マラリアに苦しめられ、大半はパナリに戻りました」
1964年中学統合、1974年の小学校廃校に伴い、ほとんどの島人が石垣や西表島へ渡ったのだと、修さんは泡盛を嗜みつつ、パナリの歴史を語って下さいます。

西表島大原生まれの修さんは、
「親に連れられて子どもの頃からちょこちょこパナリに帰っていましたが、大人になって、とてもいいところだなぁと感じて、何とかしないと、と思い始めました。
いままでここには公民館がなかったので、公民館をつくるよう現在役場に掛けあっています。
最近ではお客さんもよく入るようになっているし、パナリ出身者が観光にも力を入れています。防災のためにも公民館は必要なのです」
2014年3月には学校跡地に公民館が完成予定だそうです。今後、島の行事や祭事の際には大いに活躍されることでしょう。

すっかり夜の帳が下りた頃、心地よい島の夜風とともに、今宵パナリで過ごす島人の方々がBBQに加わりました。
「距離的には大原が近いのですが、買物や生活するひとの多くは石垣へ行きます」
「いまの60代の人たちが中学校行くまでおうちは茅葺きでしたよ」
「中学校からは西表島の大富で寮住まいでした。サバニで大原学校に通いましたよ」
「廃校になってからは、サバニで大原(西表島)へ渡って、西表から船で石垣へ行ったんですよ。石垣へ行くにも必ず西表に渡らなければなりませんでしたから、不便でした。いまは安栄さんが島人ひとりでもいれば寄ってくれるので助かります」
生まれも育ちもパナリというシージャ方(目上の方)のお話に花が咲きます。

健康的に日焼けした笑顔の会話のなかで、
「この島は、癒やしの島なんです」。
何度かこの言葉が発せられました。

これほど静寂に包まれたナチュラルでゆったりとした島時間はなかなか味わえません。
直接言葉にはされませんでしたが、なにかこう、特別な想い入れを持ち、どんなに来島客が増えたとしても、
“島本来の自然や癒やしの時間、静かで穏やかな島の暮らしを守りたい”
そんな島人の気概を感じたのでした。

いまは布を晒している女性の姿は見られなくとも、クイヌパナに登ると浜崎が見え、水平線へと消え行く夕陽の美しい風景は、「くいぬぱな節」の時代となにも変わっていないはず。

  くいぬぱな登てぃ 浜崎ゆ見りば

つぎにあなたがパナリを訪れるときは島風とともに、「くいぬぱな節」を思い起こして頂ければ幸いです。

取材協力・参考文献

取材協力 (2013年9月)

大浜修さん、上地好明さん、上地哲則さん、屋嘉部靖さん、新強さん、大浜安彦さん、金城弘美さん、中島もえさん

新城島でお会いしたみなさま、ご協力まことにありがとうございました。
いっぺーにふぇーでーびたん。しかいとみーぱいゆ~。

<主な参考文献>
 『琉球芸能辞典』那覇出版社
 『島うた紀行 第二集』仲宗根幸市
 『八重山歌謡集』仲宗根長一

2013年9月7日 取材・撮影・執筆:安積美加

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