「くいぬぱな節」の歌詞と大意
「くいぬぱな節」(新城島)
一、くいぬぱな登てぃ 浜崎ゆ見りば
まかが布晒し 見むぬでむぬ二、大石に登てぃ 前干瀬ゆ見りば
松が蛸取いや 面白きょうがい三、松が取たる蛸や くやまに打ち渡ち
うる石とぅ添いてぃ 渡しゃるきにゃヤゥ四、側に立ちゅるひゃーや りんきな者やりば
鍋とぅまかい添いてぃ 打ち割たきにゃヤゥ
(大意)
一、くいぬぱな(物見台)に登って 浜崎と称する海岸を眺めると
マカと言う女性が布を晒している様子は 見ものである
ニ、大岩石に登って 前のサンゴ礁(干瀬)を眺めると
松と言う男性がタコを取っている その様子は狂言・喜劇そっくりである
三、松が妙技を振るって取ったタコは、クヤマと言う女性に渡している
ウル石(サンゴ)の付いたままそっと渡しているときに
四、側の木陰に隠れて夫である松の挙動をじっと見つめていた本妻は 悋気者だから
鍋も飯碗も手当たり次第にすべて打ち割ってしまった
【映像】新城島の島人が唄う「くいぬぱな節」収録 2013年 新城島
新城島「くいぬぱな節」 唄三線:大浜修さん
曲名であり1番に登場する「くいぬぱな」は上地島の西北、上地港から見える石積みの小高い物見台「クイヌパナ」のことです。昭和47年、竹富町指定文化財の史跡に指定されています。
20段に満たない小さな石段を登ると右手下方には上地港、正面には西表島の深い山々が、左手には入り組んだ海岸線が見渡せます。海岸線の先端が浜崎、さらに先には下地島が見えます。
集落から両側緑だらけの一本道歩いて浜崎へ出ると、手に取るように下地島が見えます。大潮のときはリーフづたいに歩いて渡れそうな上地島と下地島ですが、「上地島と下地島では言葉が違います」と修さん。
浜崎から下地島を眺める-1024x683.jpg)
2番にある大石は、浜崎から右手に見える海に浮かぶ小さな島のような岩。前干瀬はふだんは海に沈んでおり旧暦3月3日には干上がってその姿を現すそうです。
3番に登場する“くやま”という女性は松の愛人。4番では松の奥さんが、松とくやまの間柄をリンチ(嫉妬)している様子が唄われています。
このように「くいぬぱな節」は、島人たちの生活を活き活きとユーモラスにうたっています。

作詞・作曲者などの仔細はわかりませんが、大浜修さんから頂いた「くいぬぱな節」の資料には、「御用布は海水にひたし、また白砂上で天日で晒す、これを数日間繰り返す、その様が見物であった。(八重山民謡誌より)」とありました。
「人頭税時代に石垣から派遣された役人がつくったかもしれませんね」と修さん。
「沖縄本島からやって来た芝居団が石垣島に住みついて、いろいろと廻って地域のものを吸収し、芝居に合うようにアレンジしていったんですよ。
沖縄本島の『恋ぬ花』は、パナリの『くいぬぱな節』をアレンジしたものです」
修さんの解説に、芝居団の方々がアレンジされたゆえに、「庭に雪が降る」というロマンティックな歌詞が生まれたのかも、と納得。
「くいぬぱな節」はどなたかに習ったのですか、とお尋ねすると、
「教わるのではなく、みんなが唄っているから自然と覚えているんです。
パナリの人はみんな知っているし歌えますよ。
結願祭の奉納舞踊でもありますし、島関係のお祝いの時に必ず歌い踊ります。
とりとめのないひょうきんな唄、その場その場の情景、生活を表した唄ですが、一番親しまれている唄です」
修さんの表情は明るく、やさしい。パナリへの愛情があふれていました。
島風の記憶と希望 
