第4回「砂持節」伊江島

赤嶺の小堀とおまじない

「砂持節」は島の東(アーリ)の「阿良説」と、島の西(イーリ)の「大口(うぷぐち)説」がありますが、現在伊江島で「砂持節」と言えば前項でご紹介した「阿良説」を指し、歌詞は4番まであります。

6番まである「大口説」は、一番の歌詞で「阿良の砂浜やヨ」とあるところを「大口の砂やヨ」となります。
2番では伊江島の南側から西側への各字(地名)を唄いあげ、3番、4番は「阿良説」の2番、3番とほぼ同じ、6番は世果報年を喜び心を合わせて仕事に励む様子が唄われています。

現在では主に島の行事のときにのみ唄われている「砂持節」。
「ぜひ伊江島で聴いてみたいのです」とのたっての願いに、わざわざお集まり披露してくださったのは伊江村民俗芸能保存会のみなさん。

お集まり下さった伊江島のみなさんに「砂持節」にまつわるエピソードを伺いました。

すると四番の歌詞に登場する(「大口説」では5番)「赤嶺の小堀」についての思い出話に花が咲きました。

 四、真謝原の芋やヨ 一本から三笊
    赤嶺の小堀ハイヨ 洗い所

(大意)
 四、真謝原のいもは一本の茎から三つの笊いっぱいになる。
   赤嶺の池はその芋を洗うところである。

昭和35年頃までは池があったと言う、現在はゲートボール場と姿を変えた赤嶺の小堀。
むかしは歌詞の通り芋や野菜を洗っていた洗い場であったそうです。

池は野菜を洗うだけでなく、畑仕事を終えて汗をかいた馬を水浴びさせたり、子どもたちが水遊びをする場であったそう。
人も馬も野菜も、チャンプルー(ごちゃまぜ)になっていた池ですから、衛生的にいかがなものであったかは想像に易いこと。

「池で遊んでいてトラホームになって大変でしたよ」
「と、とらほーむ?? トラホームって何ですか?」
石新一雄さんの会話のなかに登場した初めて耳にする言葉に思わず聞き返しました。
「ヤマトゥグチでなんと言うのですかねぇ。目のところが赤く腫れてね、病院に行って切開して血がいっぱい出て怖かったです」
と石新さん。

関東で言う「ものもらい」、関西で言う「めばちこ」のことかと勝手に解釈しながら、
「トラホームって初めて聞きましたけど、これは沖縄本島でも言いますか? 伊江島の方言ですか?」
と尋ねると「さぁどうかなぁ」と苦笑いされました。

後日「トラホーム」を確認してみると、こちらは方言ではなくドイツ語(Trachom)であり、「トラコーマ(英語:trachoma )」のことで、クラミジア-トラコマティスという病原体による眼の結膜炎のことでした。
世代間ギャップなのでしょうか。初めて耳にする病名でした。

ちなみに、関東方言の「ものもらい」は「麦粒腫」のことで、まぶたにあるマイボーム腺やまつ毛の根もとの脂腺の急性化膿性炎症。
沖縄の方言で「みんれー」、「みんるー」、「みーふっくぁー」などと言っています。
地方によってこれほど呼び方が違う病気も不思議ですね。

「池で泳いでいて顔を上げると、目の前に馬の糞があったりしてねぇ!!」
と愉快そうに子どもの頃を懐かしんで語る前出の大城さん。
「タヌガサがでたときは、おばあちゃんが“アガリクマムト ◯□◎?☆△~”と言ってタヌガサを治す呪文を唱えてくれましたよ」
と続けます。

「“タヌガサ”って何でしょうか? いま仰った呪文は?」と初めて聞く呪文へ私は好奇心を隠しきれません。
「タヌガサはいまでいう帯状疱疹です。呪文はほら、前に持ってきたでしょう?」
ご同席くださっていた教育委員会の山城直也さんに目配せをすると、山城さんがすぐに資料をお持ち下さいました。

資料には

 『タヌガサ(帯状疱疹)治療お呪い(おまじない)
    伝授した人 …西江前 知念ナベさん 安政4年(1857年)生まれ (昭和20年88才で戦死)
    伝授された人…西江前 大城賢雄氏(伝授者の孫)』

とあり、先ほど大城さんが唱えられた呪文全文が記されていました。
呪文の後には

 『平成17年(2005)10月26日 文書化=大城賢雄 タイプ=新城晃』

とあります。
大城さんはいま目の前でお話下さっている方、そして、
新城さんとは奇しくも前出の「砂持節」についてご教授下さった方でした。

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