第4回「砂持節」伊江島

「砂持節」の歌詞と大意

砂持節」(伊江島)

 一、阿良の浜砂やヨ 持てば禁止られて
    ゼイサ ゼイサ ゼイサー
   たんで 西泊 ハイヨ 持たちたぼり
    ゼイサ ゼイサ ゼイサー

 二、原やぱんた原ヨ 道やくびり道
    思ゆらば里前ハイヨ とうめていもり

 三、原出て見ればヨ うく豆のかばしゃ
    島のみやらびのハイヨ 匂のしゅうらしゃ

(大意)
 一、阿良の浜砂は持だしを禁止されているので、
   どうか西泊の番人よ砂を採ることを許してください。

 二、原ははんた畑で、道は細く狭い坂道であるが、
   わたしを愛しているなら愛しい貴方よ探していらっしゃい。

 三、畑に出てみたらうく豆の香りがよいように、
   島の娘たちの香りもなんとも言えない高貴な感じがする。


【映像】伊江島の島人が唄う「砂持節」収録 2011年 伊江島

伊江島「砂持節」
唄三線:石新一雄さん、大城賢雄さん、宮城義勝さん

「砂持節」の作詞・作曲者、年代について、いまのところ不明ですが、
「伊江島の琉歌の起源は民謡の富里節と相前後すると考えられ、16世紀頃といわれている。(『伊江村史上巻』大城知善編著)」
とご教授くださったのは伊江島の新城晃さん。

「砂持節」の歌碑が建立されている阿良(あら)の浜は伊江島の現港から少し東へ行ったところ。

新城さんからご教授いただいた各資料解説によると、そのむかし、伊江島は粘土質土壌であったため、畑に砂を混ぜて土壌改良するための砂が必要でした。「砂持節」はその砂を持ち運ぶ際に唄われていた作業歌とあります。
数名の女子が畑に砂を運びながら「砂持節」を合唱し、唄のあとに先頭の者が「追うて来うよう(ウーティクーヨー)」と言うと、後続の者が「舞うて来んどう(モーティキュンドー)」と囃し立てながら作業に勤しんだようです。

阿良の浜へ行ってみると小さな砂浜とコンクリートの波止場があります。コンクリートの港ができたのは昭和25年頃。


一番の歌詞にある阿良の浜の砂を持出を禁止した理由については、
「阿良の浜は那覇への上納船の船着場だったからでは。砂がないと船があげられないから持出を禁止したのでしょう」
と新城さん。

現代の港からは想像し辛いことですが、むかしは今のようなコンクリートで固めた港はなく、浜辺に船底を引きずって船を陸に上げていました。砂が少ないと船底を傷つけてしまうため砂の持出を禁止したのではないか、と言うことです。
作業歌として「砂持節」が唄われていた頃は、きっと美しい白い砂浜が広がっていたのでしょうね。

「むかしはススキの穂をわざと成長させて伸ばして、その穂を編んだものと土と砂を混ぜ練って家の壁や釜を作っていました。
畑に砂を使うと言うと際限がないので番人に断られてしまう。だから、家と釜をつくるために砂が欲しいと頼んでいたのですよ」
と語るのは伊江島の大城賢雄さん。当時の生活の知恵と様子が偲ばれます。

二番の歌詞に「里前(さとぅめ)」とありますが、「里(さとぅ)」は女性が愛しい男性のことをいう方言。
男性が愛する女性のことを言うときは「無蔵(んぞ)」と言います。
このふたつは沖縄民謡によく登場しますので、ぜひ覚えておいて下さいね。

三番の歌詞にある「かばしゃ」、「しゅうらしゃ(しゅらしゃ)」も沖縄民謡によく登場します。
香りや匂いについての形容詞にあたり、うっとりとするような良い香り、高貴な香りと訳されることが多く、現代風に言うと魅力的なフェロモンと言ったところでしょうか。
雰囲気や様相を形容する表現に、香りや匂いを用いるとはとても粋ですよね。

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