第3回「小浜節」小浜島

「小浜節」しまうた流れ

「『小浜節』の元唄はユンタ・ジラバ調に掛け唄のようにして歌っていたのでは。
 当初は三線はなく、豊作の喜びと感謝の気持ちを豊年祭などで手拍子で歌っていたと思います」
と仲盛長儀さん。

島の南部のナフマサキというところで、島人の新里加武多(しんざとかんた)が元唄を歌っていたところを与人(ゆんちゅ)の宮良永祝(みやらえいしゅく)が聞いて、琉歌調に改作したと伝えられています。

村長にあたる与人の拝命を受けた石垣島大川出身の宮良永祝は1751年8月から2年間、小浜島に赴任していました。
現在広く唄われている「小浜節」は1751年頃に永叔が元唄に三線をつけ、工工四をつくったものだと言われています。

琉歌調とは、琉歌は「サンパチロク」という決まりがありますので、その決まりに則ったということです。
俳句が「五・七・五」でまとめると言うように、琉歌は「八・八・八・六」で詠みます。
3回続けて八文字で詠むので「サンパチロク」と呼ばれています。
指を折って歌詞の文字数を数えてみてください。見事に「サンパチロク」でおさまっています。

「一般的にはこう唄われていますが、自分たちは島の唄い方をします」
小浜島の方々は次のように説明して下さいました。

節回しや小さな違いもありますが、小浜島にむかしから伝わっている「小浜節」なのか、一般的に唄われている永祝改作の「小浜節」なのか、その違いはわかりやすく、すぐに見出すことができます。

小浜島の「小浜節」が一番で
「だんちよ てゆまりる(発音としては“ダンジュ チョーマリル”)」
と唄いだすところを、一般的には
「小浜てぃる島や(クモマティルシィマヤ)」
と始まるからです。

また二番の「押しとみゆ見りば」は、一般的には「押し下し見りば」と唄われています。

小浜島の方が「一般的には・・・」と語りますから、なぜ「小浜節」発祥の地である小浜島が一般的でないのか不思議に思うところでしたが、“一般的”というのは、コンクールで採用されている歌詞であったり、多くの方が唄う歌詞のことを指しているようです。
宮良永祝が工工四を作ったことでこちらが元唄より広まったと考えるのが自然でしょう。

やさしい笑みを浮かべながら
「唄は唄うひとが主だから、工工四や歌詞の違い、節回しの違いなどにはこだわりません。
 ただ、島ならではの唄い方があります」
と目を細める仲盛さん。

仲盛さんをはじめ小浜の島人は、島とは違う歌詞や唄い方を認めつつ、自分たちの島の伝統的な唄い方を大切にするという、自然に恵まれた島らしく寛大なこころの持ち主であるようです。

1 2 3 4 5
error: Content is protected !!