沖縄の伝統行事【旧盆】石垣島の「アンガマ」(平成22年版)
当記事につきまして
当記事は平成22年(2010年)8月24日に取材させていただきました石垣島の旧盆「アンガマ」レポート【復刻版】です。
当時はカメラマンとライター・美加の2名体制でした。写真はすべて平成22年にコンデジで美加が撮影したものです。いまは一眼レフで撮影+映像も撮らせていただいたり、撮影・取材・執筆のすべてを一人でこなしていますが、このときは書く専門でした。しかもガラケー時代でした。いろいろと懐かしいです(笑)
☆ 次の予定 ☆
令和5年(2023年)来週の石垣アンガマはガッツリ取材させていただく予定です。
お楽しみに。(^-^)/
記:令和5年(2023年)8月22日(火)
プロローグ
ポツン、ポツンと人工の光を街灯がほのかに作り出しているものの、夏の夜の闇が支配しているような静かなしずかな石垣市の住宅街。
ドン・ド・ド・ドーン!
ドン・ド・ド・ドーン!
テンテ・テ・テテテーン・テーン・テン♪
不意に静寂を打ち破るような太鼓の音が響き渡り、切れのよい三線の音色が闇の奥から聞こえてきた。
その音が徐々に近づいてくるにつれ、「ホーイホイ」、「ホーイホ
音にあわせて何者かたちがゾロゾロと闇からこちらに向かってくるようだ。
石垣島のソーロン(旧盆)の夜、グソー(あの世)から陽気な精霊たちがやってきたのです。
さぁ、愉快なアンガマご一行様をみんなでお迎えいたしましょう!
グソー(あの世)からの陽気な精霊アンガマ
コバルトブルーの海に点在する島々へ旅立つ基点となる港がある石垣島。八重山諸島の玄関口となる島です。
その石垣島の港を中心とした新川、登野城、大川、石垣の四ケ字(ヨンカアザ)が “アンガマ” の盛んな地域。
「アンガマってなに?」
アンガマをはじめて耳にする方もいらっしゃるかもしれませんが、“アンガマ” は蛙の親戚ではありません。お釜とも違います。
ソーロン(旧盆)にグソー(あの世)からやってくるとされるアンガマは、祖霊を表わす翁(ウシュマイ)と媼(ンミー)の仮面を付けた二人が、花子と呼ばれるファーマー(子、孫)を引き連れて家々を訪ねてまわり、祖先の霊を供養し子孫繁栄を祈り、歌や踊り、珍問答を披露する笑いあふれる賑やかなソーロンの伝統行事です。
まずはご先祖様にご挨拶、そして様々な舞踊が披露されます
アンガマご一行様はソーロン(旧盆)の夜、グソー(あの世)からやってきて各家庭をまわります。
一行がいらっしゃるときは親戚一族である門中(ムンチュー) のみならず、ご近所さんから一般見物人、観光客まで訪問先の庭先に入って、おうちの方たちと一緒に一行をお迎えすることが許されているのが暗黙の了解となっているようです。
まったく見ず知らずのひとまでおうちの庭先に入れて、「みんなで一緒にアンガマご一行様をお迎えしましょう」という慣習は、実におおらで、ほのぼのとしています。
いまか、いまかとワクワクしながら訪問先の軒先で一行を待っていると、暗い路地の向こうから太鼓や三線の音が徐々に近づいてきました。
その音にあわせて、「ホーイホイ」、「ホーイホイ」、「ホーイホイ」と言う掛け声は20~30名ほどでしょうか。
旧盆の夜の闇はグソー(あの世)につながっているのか、暗い路地先からやってくる一行はなぜかまったく不自然な感じがしないのが不思議です。
ウシュマイとンミーが先頭に立つ一行が訪問先に上がると、花子と呼ばれるファーマー(子、孫)たちがトートーメー(位牌)を囲むように車座になって座ります。
花子たちは着物姿に、花笠をかぶり、顔は手ぬぐいなどで覆い隠しています。いわゆる覆面姿です。
サングラスを掛けて目元まで隠している一行もありました。
顔を隠すのは、あくまで彼らはこの世のひとではないからで、花子たちが車座となって座るのも“あの世とこの世の結界”だともどこかで耳にしました。
花子が全員座り終え結界が出来上がると、ウシュマイ(翁)とンミー(媼)がトートーメーの前に座り、訪問先のご先祖様たちに八重山方言でご挨拶をします。
「今年○○のところに女の子が生まれました」
「□□が成人式を迎えました」
「○□と□○がミートゥンダー(夫婦)になりました}
など、一族の変化や暮らしぶりを報告します。
これらはすべて八重山方言で語られます。
その様子はうやうやしくあるのですが、甲高い裏声を使ったユーモラスな「ウートートー、アートートー(祈りを捧げるという意のウチナーグチ表現)」はどことなく滑稽でもあり、微笑ましい姿です。
ご先祖様へのウートートーが済むと、花子たちによる踊りが披露されます。
一軒の訪問先につき一時間ほどの時間をかけますので、三線を弾きながら唄う地謡(ジウテー /ジカタ)と太鼓の拍子に合わせ、扇子をつかった舞踊、桑をつかった踊り、ウェーク(櫂)やバーキ(籠)をつかった踊りなど多種多様の踊りが披露されます。
おそらくその大半は、いや、きっとそのすべては八重山の歌と踊りかと思われます。八重山芸能を間近で堪能することができる楽しいひとときです。
方言で繰り広げられる珍問答
さて、アンガマのメインはなんと言っても、踊りと交互に繰り広げられる “珍問答”!
多くの見物人や、親戚一族である門中(ムンチュー)の間から、突拍子もない甲高い声で、
「ウシュマイ、ウシュマイ、ウシュマイよぅ!」
あるいは
「ンミー、ンミー、ンミーよぅ!」
とウシュマイやンミーに話しかけ、質問を投げる人がいるのです。
質問する人はタオルや手ぬぐいで顔を隠しています。
なんでも「ウシュマイやンミーに顔を見られるとグソー(あの世)に一緒に連れて帰られるから」という説があるとも耳にしました。
一緒にグソーに連れて帰られるとは、陽気だけど、ちょっと恐ろしいですね。
質問に答えるウシュマイ、ンミーも変わらず甲高い裏声で応酬。
トンチやユーモアを交えながらの珍問答は門中、見物人が大喜びで、笑いの渦が耐えません。
結界を張っている花子たちもクスクスと笑うほどです。
ただ、この質疑応答、珍問答はすべて方言です。
だから、八重山の方言がわからないと、「ハテ~???」となるのですが、そこは雰囲気と想像力を働かせるのみ!!
質問内容は各家庭によって変わりますが、その場にあるモノについても投げかけられます。
例えば、
「トートーメーの前にクルクルと回っている提灯が4つあるけど、どうして1つは回っていないの?」、
「それは故障!」。
いつもはトンチやユーモアのきいた答えを返すところ、あまりにも普通に返したので逆に大きな笑いが巻き起こりました。
ほかにどんな珍問答がやり取りされたか、新聞に掲載された文をご紹介いたします。
「あの世に宗教はいくつあるか?」の質問にンミーは「ラッキョウ、ノウキョウ(農協)、ンミーのアイキョウ(愛嬌)」などと答え笑いを誘った。(八重山日報)
「ウシュマイの歯はなぜ3本?」との質問が飛び出し、ウシュマイが裏声で「第2次世界大戦で子や孫を守るため、爆弾をみんな食べたので、歯がなくなったが、歯医者で3本だけ入れてもらった」と大まじめに答えると、拍手や笑いが起きた。(八重山毎日新聞)
珍問答の1つ、2つをポイントで紙面掲載されますが、やはりその場で実際に質問のやり取りを眺めるのがこのアンガマの醍醐味! と改めて思うのであります。
笑いの絶えない愉快なアンガマだけど、やっぱり“お盆”なのです
ひとつの訪問先に一時間ほど掛けて先祖供養、舞踊、珍問答が繰り広げられる楽しいアンガマ。
一晩に何軒ものおうちを廻るのですが、珍問答では笑いが絶えず、訪問先で披露される踊りも違えば珍問答の内容も変わるので、次の訪問先では何が飛び出すのか楽しみで、飽きることなく一行について廻れます。
ほとんどの訪問先が、八重山の代表的な曲のひとつである六調にあわせ、みんなで踊るカチャーシーで締めくくられました。
今回初めて陽気なアンガマを目の当たりにしたのですが、一軒目の訪問先から気になっていたことが、ひとつありました。
そして、気になる光景は二軒目でも同様に見られました。
それは、花子たちが車座になって作る結界の中に唯一入っている家長らしき年長者(シージャ)の方たちの態度や立ち振る舞いでした。
どの訪問先にも大勢の門中やご近所さん、多くの見物人が集まっていますが、唯一結界のなかに入り、ときどきウシュマイやンミーにお酌をしながら、トートーメーの側に座っているシージャ方がいました。
シージャ方は、ウシュマイとンミーがトートーメーに向かってご先祖様にご報告をしている間、ときには首を立てに大きく振って頷いてみたり、涙をぬぐってみたり、ことさら真剣に拝みを聞き入っているご様子。
門中、見物人のみんなが大笑いしている珍問答の間も笑わず、いたって真面目な面持ち。
また、正座をされている方は正座を一切崩さず、常に姿勢を正していたのであります。
シージャ方はとても、とても謙虚な心持で、真摯にアンガマ行事の行方を見守っているのがわかりました。
その姿に、“あぁ、やっぱりお盆なんだなぁ・・・”とはたと気付かされるのでありました。
そのようなシージャも、締めくくりとなる最後の六調の際には、ウシュマイやンミーに手を引かれて立ち上がり、みんなとともに踊っているお顔には笑みがこぼれていました。
“ 年も無事に先祖供養が終わるのだ” と安堵の笑みなのでしょうか。
初めて笑みを見せるシージャの姿を見て、私もなんとなくホッと肩をなでおろしたのでした。
夜の住宅街をアンガマご一行様を追いかけ、ウロウロ、ウロウロと歩き回りました。
旧盆は3日間かけて行われます。ご先祖様をお迎えする初日をウンケー、中日をナカビ(ナカヌヒー)、ご先祖様を再びグソーへお送りする最終日をウークイといいます。
アンガマも3日間かけて行われました。
最終日のウークイの夜、住宅街を歩いていると門前で送り火をたいているおうちの前を何軒か通り過ぎました。
私は送り火を見るのも初めてでした。
パチパチと燃える小さな送り火を囲む家族や門中らしい方たちに、「こんばんは」と挨拶をすると、穏やかな笑顔で「こんばんは」と返してくれました。
みんなご先祖様たちと語らいの時間をもて、安らぎを得たかのようなやさしい微笑みでした。
旧盆でたくさんの果物や食べ物などが捧げられ、いくつもの提灯で明るく照らされているトートーメーをお邪魔したおうちの数だけ見せていただきました。
目にするトートーメーはすべてまったく知らないおうちのトートーメー。なかには初盆のおうちもあった。
ソーロンの一刻の時間、見ず知らずの方のおうちのお盆を一緒に過ごさせていただくのだから、よくよく冷静に考えてみれば、それはとても不思議な時間なのだ。
これは八重山の人々のおおらかさが生み出した慣習かもしれない。
そして、
“ともに同じ時間、同じ場所で、その雰囲気を共有し、ともに感じることが、ひとがこの世で営む上で大切なことなのだ”
と教えてくれているようにも思えた。
静かなしずかな住宅街で、送り火の白い煙が空高くのぼっていく。
その白い煙を見つめながら、グソーの自分の祖父やご先祖様のことも重ね合わせ、思いを馳せた。
見上げると石垣の夜空には幾つもの星が瞬いていた。
夜空の星が見守るなか、今年も先祖供養と子孫繁栄祈願の役目を無事に果たしたアンガマご一行様も、送り火の煙とともにグソーへと続く路地先の闇へと消えていった。
「ホーイホイ」、「ホーイホイ」、「ホーイホイ」。