第5回「なりやまあやぐ」宮古島
【取材・撮影】平成23年6月10日(平成23年6月執筆)
【改訂】令和6年8月13日
はじめに
沖縄県内のしまくとぅば(島言葉・方言)は実に多彩。
糸満、ヤンバル、首里をはじめ、沖縄本島内でも集落によって方言に違いがあります。
石垣島をはじめとする八重山諸島へ飛べば、まったく違うしまくとぅば。
例えば「ありがとう」は、沖縄本島の方言では「にふぇーでーびる」。
八重山では「みーふぁいゆー」。
沖縄諸島と八重山諸島のあいだに位置する宮古諸島では「たんでぃがーたんでぃ」と知られています。
※コトバは生き物。地域や時代で異なる場合があり、同じ島内でも地域によって変わります。
「なりやまあやぐ」発祥の地・友利部落(宮古島市城辺)では「たんでぃがーたんでぃ」は「ごめんなさい」の意で、「ありがとう」は「まいふか」となります。
ひとつの島をとっても、島のなかの集落によっても異なる方言ですが、ざっくりと沖縄・八重山・宮古と方言を分けた場合、とくに難しいと言われているのが “みゃーくふつ(宮古方言)”。
その発音は文字に表すことは非常に難しく、「ス゜」「キ゜」など初めて目にする表記に、「これはいったい何と読むのだろう??」とその発音の難しさに驚きを隠せません。
独特の発音をもつ宮古方言にも関わらず、馴染みやすいメロディーと比較的唄いやすい宮古方言で沖縄中に知れ渡る教訓歌「なりやまあやぐ」。
その人気は、平成6年ラジオ沖縄が実施した『あなたが選ぶ沖縄の歌100選』で見事トップ10入りを果たしたほどです。
『恋ししまうたの風』第5回は「なりやまあやぐ」の生まれ故郷、宮古島へ旅します。
飛び切りの海が迎えてくれる宮古島
沖縄諸島と南西の八重山諸島のあいだに広がる宮古諸島の中心・宮古島へは那覇から飛行機で約45分。通勤できそうなくらいの時間で、あっと言う間に到着です。
取材当時(2011年6月10日)の宮古島
宮古本島・池間島・来間島・伊良部島・下地島・大神島をあわせた宮古島市の人口は54,893名(2011年5月末現在)。
直角三角形のような形をした宮古本島(宮古島)の面積は約204.5k㎡、北の池間島、南の来間島と橋でつながっています。
また6つの橋で繋がっている伊良部島と下地島が宮古本島の西に位置しますが、現在宮古本島と伊良部島をつなぐ橋の工事が行われており、2014年に完成予定となっています。
赤土土壌で育てられた宮古島のマンゴーは全国にも知られるブランドです。
大きな山や川はなく、ほぼ平らな島ですが、地下ダムのおかげで意外や水は豊富。
また国内最大級の太陽光発電施設が昨年完成。今年は海中公園オープンと元気な島です。
何よりとてもフレンドリーな宮古人と、「同じ沖縄?!」と思うほどの飛び切りの青い海と白い砂浜が最大の魅力です。
宮古の島人が唄う「なりやまあやぐ」
宮古民謡「なりやまあやぐ」(沖縄県宮古島市城辺友利発祥)
【撮影】2011年6月10日(金)沖縄県宮古島市城辺友利インㇺギャーソン
【唄三線】なりやまあやぐまつり実行委員会(左から砂川光彦さん、砂川武次郎さん、友利武和さん)
宮古民謡「なりやまあやぐ」歌詞と大意
一、サーなりやまや なりてぃぬなりやま
すぅみやまや すぅみてぃぬ すぅみやま
イラユマーン サーヤーヌ
すぅみてぃぬ すぅみやま
二、サーなりやま参いってぃ なりぶりさます゜なよ
すぅみやま参いってぃ すぅみぶりさます゜なよ
イラユマーン サーヤーヌ
すぅみぶりさまっす゜なよ
三、サー馬ん乗らば 手綱ゆゆるすなよ
美童屋行き 心許すなよ
イラユマーン サーヤーヌ
心許すなよ
(大意)
一、慣れているヤマへ行っても染まってはいけませんよ
二、慣れているヤマへ行き、女性に惚れてしまって仕事をしなくなってはいけませんよ
三、馬に乗ったら手綱を許してはいけません。美しい女性の屋敷へ行っても心を許してはいけませんよ
<歌詞につきまして>
沖縄県宮古島市城辺字友利「インㇺギャーマリンガーデン」(以降インㇺギャー)内に建立されている「なりやまあやぐ」の歌碑に刻まれている歌詞をご紹介しております。
なりやまあやぐまつり実行委員会インタビュー(2011年6月10日)
奥が深い「なりやまあやぐ」は教訓歌であり、恋歌でもある
『沖縄の三大教訓歌』として知られる沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」、八重山民謡「でんさ節」、そして宮古民謡「なりやまあやぐ」。
宮古島を代表する民謡のひとつ、「なりやまあやぐ」は「慣れていることでも油断してはならない」という教訓歌として知られています。
そこへ、奥濱貞夫(おくはま さだお)さんは「『なりやまあやぐ』は教訓歌ですが、恋唄でもありますよ」とおっしゃいました。
すっかり教訓歌という先入観に捕らわれていたので、はっとしました。
確かに惚れるな、惚れた腫れたと諭しているのですからそうかもしれませんね。
「なりやま」の「やま」の意味
「なりやま」は「慣れているヤマ」のことで、「あやぐ」は「うた」のこと。
「ヤマ」とは「ひとの集まるところ」を指し、海でもひとが集まるところであれば「ヤマ」と言うのだとか。
「なりやまあやぐ調査委員会」の調査結果
「なりやまあやぐ」の作詞・作曲者は定かではありませんが、非常に人気が高く著名な宮古民謡のひとつです。
「なりやまあやぐ調査委員会」(2004年発足)の調査の結果、宮古島の城辺字友利が発祥の地だということ、1864年には友利で歌われていたということがわかっています。
1859年 佐久本武佐氏が唄っていた「なりやまあやぐ」(歌詞)
1859年には友利村25番地に生まれた佐久本武佐(さくもと むさ)氏が、年頃になった長男・山が女性たちと遊んでばかりいて家事をかえりみなかったため、わが子を戒めるために唄っていたことが確認されています。
佐久本武佐氏の「なりやまあやぐ」(砂川武信氏覚え書き)
一、サーヨー なりやまやー なりちぬなりやまー
そみやまやよー そみちぬそみやまー
イラユーマーンマーンヌ そみちぬそみやまー
二、サーヨー 馬にぬーらば たずなうゆるすなよ
みやらび家いき 心ゆるすなよー
イラユーマーンマーンヌ 心をゆるすなよー
三、サーヨー 馬のかぎさや 赤馬どかぎさー
みやらびかぎさや 十七、八くるどー
イラユーマーンマーンヌ 十七、八くるよー
1960年 ラジオで友利實功氏が友利の「なりやまあやぐ」を世に広める
佐久本武佐氏の唄っていた歌詞を、友利村55番地の1で生まれた友利實功(ともり じっこう)氏らが1895年、唄いやすく編詞しました。
そして1960年、友利實功氏が琉球放送ラジオ番組『素人のど自慢大会』に挑みました。
このとき實功氏は、“からうた(無伴奏)”で「なりやまあやぐ」を唄ったそうです。
實功氏がラジオで唄ったことで、宮古島の友利部落で唄われていた「なりやまあやぐ」が初めて世に知れ渡りました。海を超えた「なりやまあやぐ」は評判となり、やがて沖縄中で人気を博したのでした。
インㇺギャーにある歌碑の詞は實功氏がラジオの電波に乗せてはじめて唄ったときの歌詞です。
時代とともに価値観が変わり、歌詞も変わった
「なりやまあやぐ」の歌詞に、時代とともに価値観も変わっていることを示す箇所が見受けられます。
「なりやまあやぐ」のなかには馬が頻繁に登場します。
「1965年頃までは農耕馬として一般家庭でもふつうに一軒で馬3~4頭を飼っていたとおっしゃいますから、「なりやまあやぐ」は当時の生活に密着した唄であることがわかります。
元唄といえる佐久本武佐氏が唄っていた3番目の歌詞は「赤馬が美しい」と唄われていました。
馬のかぎさや 赤馬どかぎさー みやらびかぎさや 十七、八くるどー
(馬は赤馬が美しい 女性は17、18歳頃が美しい)
3番までしか唄われていなかったところへ友利實功氏らが編詞、さらに5番まで作詞した歌詞は次のように「白い馬が美しい」と唄われています。
馬の美さや 白さどぅ美らさ 美童美しさや 色ど美さ
(馬は白馬が美しい 女性は色白なひとが美しい)
美しい馬の代名詞は「赤馬」であったはずが、「白馬」に変わっています。その理由は次の通りです。
昭和10年(1935年)、皇太子の乗馬用に宮古馬3頭が宮内庁に購入されました。
そのうちの1頭が、昭和8年に城辺村福里の藤原弘氏が生産、加治道の島尻寛栄氏が育てた「右流間(ウルマ)号」と言う真っ白な美しい馬で、大変な人気を博していたことから、白馬を「なりやまあやぐ」の歌詞に折り込んだとされています。
時代とともに唄が変様している好例でしょうね。
歌詞が変わっても「なりやまあやぐ」は愛され唄い継がれる
昨今では「なりやまあやぐ」について書かれている文献はいくつもあります。
文献のなかには、例えば「妻が夫を戒める唄である」という解釈もあり、私もそういう唄だと思っていました。
松原彦文(まつばら ひこふみ)さんは、
「唄は時代とともに変わってきているのだと思います。
古いむかしのことは文字として残っていませんから、どれも正しく、どれも間違いではないと思います。
作詞作曲者も不明ですが、唯一言えるのは友利が発祥の地であることです」
と力強くおっしゃいました。
大昔のことは文字として残っていない、という言葉を継いだのは奥濱健(おくはま たけし)さん。
「宮古島で最古の書物は琉球王府の命令で1709~1711年に編纂された『御嶽由来記』ですよ」と解説。
宮古最古の書物は1709~1711年、と聞くとわりと最近なんだなという印象を抱きますが、それはかえって宮古の方言を文字にすることの難しさを物語っているようにも思えました。
諸説はさまざまありますが、どれが間違い、どれが正しいではなく、どれも正しく、どれも間違いではありません。
それほど「なりやまあやぐ」が魅力あるしまうた(島唄)であり、さまざまな形で唄い継がれてきたと言うことなのです。
※御嶽(うたき)…村落の祖先神(守護神)が降臨するところ。琉球神話の神が存在、あるいは来訪する場所。祭祀などを行う聖域。
友利の「なりやまあやぐ」への熱き想い
「なりやまあやぐ」の発祥地である宮古島の城辺字友利の方々が、
「郷土の先人の足跡をたどり、それを友利の文化として後世に正しく継承していこう」
という意気込みから2004年「なりやまあやぐ調査委員会」を発足。
聞き取り調査や資料収集に努め、立派な調査報告書を製作されました。
報告書は75頁にも及びます。ひとつの唄をここまで調べ上げられた執念は凄まじい、と友利集落の方達の熱意に感心しきりでした。
その後メンバーはほぼ変わらず、調査委員会は歌碑建立を目的とした「なりやまあやぐ歌碑建立委員会」へと改名。2005年「なりやまあやぐ」の歌碑を友利のイムギャーに建立しました。
委員会の気概はとどまるところを知りません。
今度は「なりやまあやぐ大会実行委員会(現:なりやまあやぐまつり実行委員会)」へと改名。
「なりやまあやぐ」を発祥の地・友利からアピールし、先人達が残した文化遺産を継承・発展させること、地域の伝統文化を育む心の大切さと心豊かな地域づくりを目指します。
目標は見事に完遂され、2006年には「第1回なりやまあやぐ大会(現:なりやまあやぐまつり)」を開催。
今年で第6回を迎える「なりやまあやぐまつり」は、宮古、沖縄県内にとどまらず日本全国から、果ては海外からも出場者が来島するほどの広がりをみせ、来場者は3,500名ほどにものぼるそうです。
「なりやまあやぐまつり」は歌碑のある友利・インㇺギャーの入江海上に特設ステージをつくり、満月に近い日曜日の晩に開催されます。(今年2011年の「なりやまあやぐまつり」は9月11日(日)開催予定です。)
お月様とともに1,000本あまりのロウソクがほのかに照らす海上ステージ。
浜辺から眺めるその光景は非常に幻想的で美しいとのこと。
「予選を勝ち抜いた何十人ものひとがみんな『なりやまあやぐ』を唄うのだけど、不思議と聴いていて飽きないのよね。それほどいい唄なんだと思います」
と松原敬子(まつばら けいこ)さん。
唄とステージの魅力を伺っていると、まだ見ぬ幻想的なステージを思い浮かべながら、“ぜひ大会を見てみたい”という気持ちが強くなります。
今回もっとも驚いたのは、「なりやまあやぐまつり」は委員会が中心となり、約450名の友利集落のひとびととボランティアの方々でつくる、“一集落による”まったくの手作りの大会であると言うことでした。
「一集落でやるには金額も規模も大きすぎると思う。でも、友利だからできることなのです」
と胸を張る友利の人たちの団結力は半端ではありません。
友利の人々の熱い想いが形となって、いまもなお脈々と唄い継がれている「なりやまあやぐ」。
つぎにあなたが宮古島を訪れるときは島風とともに、時代の流れにのって生き続ける「なりやまあやぐ」を思い出して頂けると幸いです。
サーなりやまや なりてぃぬなりやま
「なりやまあやぐ」を通して宮古島友利の人々の熱き想いがあなたの胸にも届きますように。
取材協力と主な参考文献
【取材協力】
奥濱貞夫さん、友利隆雄さん、砂川武次郎さん、松原文彦さん、砂川光彦さん、
友利武和さん、奥濱健さん、友利博利さん、平昇さん、真喜屋浩さん、
なりやまあやぐまつり実行委員会のみなさま、松原敬子さん、民宿ばんが家
宮古島でお会いしたみなさま、取材のご協力まことにありがとうございました。
主な参考文献
『なりやまあやぐ発祥の地 調査報告書』なりやまあやぐ調査委員会
『第1回なりやまあやぐ大会 実施録』なりやまあやぐ大会実行委員会
『語やびら島うた』上原直彦
『島うた紀行 第二集』仲宗根幸市
『「しまうた」流れ』仲宗根幸市
『沖縄の歌100選』ラジオ沖縄
取材後のそれから
2011年9月11日開催の「第6回なりやまあやぐまつり」に初挑戦
2011年6月10日、取材当時の私は「なりやまあやぐ」をまだ唄うことも三線を弾くこともできませんでした。
にも関わらず、なりやまあやぐまつり実行委員会の方々から「9月のなりやまあやぐまつりに是非参加して」とおっしゃっていただいたので、本番まで3ヶ月というのに、ノリと勢いに任せて参加を決意。
無謀な挑戦だとわかりつつ、撮影させていただいた「なりやまあやぐ」(映像)をお手本に独学の日々がはじまりました。「なりやまあやぐまつり」で唄うのは2番まで。なので、2番までだけ覚えて三線を弾きながら唄えるようにがんばりました。
2番には「す゜」という発音があります。
まぁ難しい。なんと発音すればよいのか・・・。
いまだに理解できず、うまく発音できません。いつか習得したいものです。
まつり当日は日中に予選会があり、予選を通過した約20名が夕方開催の本選のステージに立つことができました。
なんとか予選を通過! 夕方からの本選で唄わせていただきました。
インㇺギャーの海上に設営された特設ステージはとても幻想的。
ですが、ステージに上がってみるとライトが眩しくて、客席となっている砂浜はほとんど見えません。
このような民謡大会に参加するのは初めてでしたので、とにかくアガって、緊張でアタマが真っ白になりました。結果は当然ながら、箸にも棒にも掛かりません。
でも参加させていただいてよかったな。楽しい体験でした。いつかまたチャレンジしたいかも。
宮古民謡「なりやまあやぐ」の息継ぎは3回
このときはウタと三線を覚えるのに必死。
息継ぎまで意識できていませんでしたが、「なりやまあやぐ」の息継ぎ箇所は3回だけです。
宮古民謡「なりやまあやぐ」【息継ぎ箇所】
一、サーなりやまや【息継ぎ1】
なりてぃぬなりやま【息継ぎ2】
すぅみやまや すぅみてぃぬ すぅみやま イラユマーン【息継ぎ3】
サーヤーヌ すぅみてぃぬ すぅみやま
3節目がとても長くて、「イラユマーン」までうまく唄い切ることが難しい。
簡単なようで、難しい。奥の深いウタなんですね。
「第10回なりやまあやぐまつり」からは司会を
それから数年後の平成27年。
2015年10月10日開催「第10回なりやまあやぐまつり」から、黒澤秀男さん(FMみやこ)と安積美加(合同会社ジョートー)のふたりで、なりやまあやぐまつり本選の司会を務めさせていただいております。
いまや宮古島を代表するイベントのひとつとなった「なりやまあやぐまつり」。
白い砂浜にやさしい波音。夜の帳が下りる頃に輝きを増すのは、砂浜から遊歩道、御願山(うがんやま)を象る1,000本あまりの手作り灯籠。
三線にのせて自慢の声で「なりやまあやぐ」を披露していく唄者たちは、老若男女国籍問わず。宮古島のみならず沖縄県内各地、日本全国、ときには海外からも参加されています。
特設会場は唯一無二。ぜひ一度は体験していただきたいです。
先人に感謝
文化は永遠であり
文化を愛する心も永遠である
未来永劫、後世に継承する
【出典】なりやまあやぐ調査委員会『なりやまあやぐ発祥の地 調査報告書』
うまんちゅぬ あちゃー かふー うにげーそーいびーん。
みなさまに琉球弧のすべての神々のご加護がありますように☆